ミシンの歴史 |
●ミシンの伝来 |
天璋院敬子(てんしょういんすみこ)について |
1836年〜1883年(天保7年〜明治16年) 江戸幕府13代将軍 徳川家定夫人。名は、敬子(すみこ)、後に篤姫(あつひめ)という。薩摩藩主一門島津忠剛の娘で島津斉彬の養女。幕府の対雄藩協調策と斉彬ら、一橋派の政治的思惑により、近衛忠熈の養女として1856年(安政3年)(ミシンを徳川家に贈ったのは、1854年であり、その2年後に嫁いだことになる。2年のブランクは、何でしょうね?)、家定へ嫁ぎ、御台所となった。1858年7月の家定の死に伴い落飾して、天璋院と号し、以後大奥では、重きをなしたという。14代将軍家茂(いえもち)死去の際は、田安亀之助の宗家相続ををはかった。幕府倒壊後は、宗家16代家健(いえさと/亀之助)の養育にあたった。 (以上、平凡社「世界大百科辞典」より抜粋) |