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トリビア/triviaとは? |
(名詞pl./triviumの複数形) とるに足らないこと、つまらないこと |
(1) JUKIは、その昔、 兵器の製造メーカーだった・・・。 |
昭和13年11月25日、日本を代表する機械メーカーの代表者が集まり、東京重機製造工業組合が設立された。軍需産業の為、正確には九九式小銃を製造することを目的に設立されたのである。 昭和18年8月26日、組合を解散し、東京重機工業株式会社を設立。 いわゆる国策会社といえる。 昭和20年敗戦。ダグラス・マッカーサー元帥の指揮の元、軍需産業は、廃止された。 その後、東京重機工業株式会社は、軍需産業に使用した設備を転嫁できる産業、ミシンに着目し、当時の実質的創始者山岡憲一社長、真野正三取締役(後の株式会社ジューキ創始者)が中心となり、昭和20年10月25日に進駐軍から民需転換の許可を受け、ミシン部品製造を始める。ミシンとて、そう簡単には、作れない。 そして、第1号JUKI製HA-1型家庭用ミシンが誕生したのは、昭和22年3月である。 その後、昭和63年(1988年)4月、会社50周年を迎え、社名を東京重機工業株式会社からJUKI株式会社へ変更し現在に至る。 |
(2) JUKIの家庭用ミシンは、 お年玉年賀ハガキの特賞景品だった・・。 | JUKIの家庭用ミシンは、昭和26年から5年間、お年玉年賀ハガキの特賞景品であった。昭和25年2月第3回全国ミシン性能審査会が開催され、JUKIミシンは、参加20社中最高位で入選し、通産大臣賞の栄誉に輝いたことが、大きな要因であった。 |
(3) JUKIは、その昔デュルコップ(ドイツDURKOPP)社の販売総代理店であった・・。 |
JUKIは、昭和37年、ドイツはデュルコップ社と提携を結び、日本総代理販売権を得た。両者がそれぞれ自社生産していない機種について販売する契約をしたのである。 当時、ハトメ穴かがりミシン等特殊ミシンはJUKIになかったのであった。 まさか?、商売敵のデュルコップ社も、JUKIがここまで伸びるとは、思っていなかったであろう・・・。 |
(4) (株)ジューキの創始者、真野正三氏は、JUKIの役員だった・・。 |
はい、よく問合せをいただくことが、ここで、明らかになります。 「ミシンのJUKI」と「ベビーロックのジューキ」は、同じ会社なの? どう違うの? と、何度ご質問をいただいたことであろう・・・。 その都度、それなりの説明をしたものの、あまりに長い話になるので、全ての詳細説明までは、至らなかった。 まず、前述の項目を見て欲しい。 JUKIは、ミシンメーカーでありながら、昭和37年から、ドイツ/デュルコップ社の国内販売をしていた。 JUKIの実質的創始者山岡憲一社長と同時期に取締役として、JUKIに貢献した真野正三氏(確か?当時常務と聞いています)が、JUKIで販売しているドイツ/デュルコップ社製品に目を付けたのである。 (株)ジューキは、真野正三初代社長の元、昭和40年(1965年)、東京重機工業株式会社(現JUKI)から分社独立した形で始まった。 よって、当初目的は、ドイツ/デュルコップ社の国内総発売元だったのだ。 当初、東京重機工業(現JUKI)の社員も多数(株)ジューキへ移り、JUKI製品の卸売り会社としても位置付けられた。その後数年で、JUKI製品は取扱をしなくなったが・・・。 そして、その3年後、昭和43年(1968年)、世界で始めて、ベビーロックEF-205型を発売し、名実とも小型ロックミシンの総合メーカーとして君臨しているのである。 よって(株)ジューキは、 (1)ドイツ/デュルコップ社をはじめとする、欧米工業用ミシンの輸入発売元 (2)ベビーロックブランドのロックやミシン等、ホームソーイング用品のメーカーとして (3)ディアナをはじめととする、小型ハトメ穴かがり等、自社開発ミシンメーカーとして を主な主力商品として、営業活働をしているのである。 |
(5) ブラザーのブランドは、創業者の息子、当時6人の兄弟が後を継いだので、Brother となった・・。 |
その歴史は古い。 1908年 (明治41年)、安井兼吉氏が「安井ミシン商会」を創業 *兼吉には、男6人、女4人の10人の子供に恵まれた。 1925年(大正14年)に享年44歳の若さで生涯を終えた。 その時、長男(安井正義氏)は、まだ21歳。 兼吉は、兄弟協力して、外国製品(シンガー)に負けない日本製のミシンを開発するように息子達に委ねた。 1925年 (大正14年)、安井正義氏が継承し、 父の遺志に従い、同時に「安井ミシン兄弟商会」と改称 。 正義氏をはじめ、種雄、時雄、実一、友七、義一と6人が、父の遺志を受け継ぎ、皆がミインの開発に燃えた・・。 これが、「ブラザーブランド」が誕生する由縁である。 1928年 (昭和3年)昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)の販売開始。このミシンの商標を「BROTHER」と決定する。ここで、始めて商標が世に送り出された。いわば、ここがブラザーブランドの始まりですね。 1932年 (昭和7年)、家庭用ミシン量産化に成功 1934年 (昭和9年)、「日本ミシン製造(株)」設立。 1941年 (昭和16年)、「ブラザーミシン販売(株)」設立 。 という感じ・・・。 |
(6) ミシン館には、テレビ番組の「トリビアの泉」から2回も問合せがあった。 |
そうなんです!。 (1)1回は、なんでミシンは、ミシンて言うのか? →ミシン歴史館をよく読んで、見極めなさい。と答えた。 (2)2回目は、フランスで始めてミシンを開発した、「バーシレミー・シモニア」について、知っていること、資料は無いか? →フランスのリヨンの近くに、「バーシレミー・シモニア」の会館があるから、飛行機に乗って観てきなさい!と答えた。 *そんな予算出してもらえない・・・。と返事された。 |
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